2018年9月30日日曜日
またもや・・・
またもや
台風・・・
どうか・・・と
願うしかできない。
前回の台風は京都を通過中
倒れてしまいそうな、
壊れてしまいそうな、
たなかやの木戸を強風の中
押さえていました。
「がんばってー!」
と、うちにあるハンカチの木と
木戸とたなかやに向かって
届いているのかわからないのですが、
「わたしも一緒にがんばるから!」
と、必死なわたしは、フレーフレーを
言い続けながら木戸を押さえていました。
笑っちゃいますよね。
そんな中、
お隣のトタン屋根が飛んできた!
の次は瓦は落ちるは、
塀が崩れるは・・・
またもや
「がんばってー!」の
相手が増えたのでありました。
ありがたいことに
木戸は倒れず、
多少壊れるで済みました。
必死で押さえていたのですが、
強風の中、
願うことと、
押さえることしかできない
わたし・・・
以前、
屋根の様子を見に
2階の屋根に登りました。
次、台風がきたら、まずい!
ということで。
屋根から見るいつもの通り道や
ここという場所は
ずいぶんと違って見えました。
そしてごろんと
屋根に大の字になり空とご対面。
きれい・・・
そして、
自然はすごい・・・
空から見下ろしたら
わたしなんて、
ちっぽけな点・・・
そんなことを思いながら
空を見ていました。
さて、
どうか・・・と
また願うしかできない今なのですが、
自然が訴える声に
しっかりと聞かなければならない
そんな今・・・
ニンゲンは何ができるか、
何をするべきか、
またもや
投げかけられているような気がしながら
風雨を耳にしています。
怒られているんですよね?
きっと・・・
2018年9月29日土曜日
そーれ!
「 メッセージを込めようと思っては作れない。
自分の意識ではつかまえられないものを
描いている。
つかまえられるようなものはロクなものではない 」
新聞に載っていた宮崎駿さんのコトバ。
生きねば・・・
と続けたこの投稿は2013年9月11日のわたしが
風立ちぬ を観た次の日に書いたものです。
5年前かと思いながら、
振り返ることのできる、
自分というものを
今と比べながら思い出していました。
生きていくということに
けっこうバッテリーが必要だと
いうことも、
生きていくという
自分の仕事と、
明日というずっとずっと先にも
続いている明日・・・
宮崎駿さんのつかまえられるようなものは
ロクなものではない・・・
というコトバ。
夢がある!
のです、うるしのことで!
だから、
いつかつかまえるという
その夢を、
いつかまで飛ばすとします!
「 そーれ! 」
2018年9月28日金曜日
お か ぱ
1
久々に五体フル回転!
「オカッパババのタワゴト」の
ババでございます。
ちょっと五体に色々と問題があるにせよ
まだまだやる気満々のババは楽しんで
バッグを作っております。
巷のカチッとしたバッグにはあまり
興味がなく、
くたっとした、
芯もあまり使わず、
人間のしわのようなそんな
バッグが作りたくて
いわば反抗心から生まれたバッグです。
私は満足していますが、
もしかしたら人それぞれの思いがあるように
五体不満足のバッグかもしれません。
でも、同じものがないので、
まあ!世界に1つと言った所ですね。
まだまだ制作中です。
これからもブログに登場します。
勿論売りものでございます。
早いもの勝ち!ですぞ!
2
3
2018年9月27日木曜日
ギンナン
じっくり見ていると、
なんとも、
ふしぎ。
見慣れたもののはずなのに、
疑問を当てはめる?
持ってしまうと、
気になるというか、
ふしぎな感じがわたしに
漂いはじめました。
初めて、
この食材を食べた人、
はたまた
食べれるか?の挑戦をした人
どんなこんながあっての今なのか?
と思ってみたりの様々な食材が多々。
ギンナンからあちこちにハテナが
飛びかっております。
ギンナンは昔々、
住んでいた近所でとれて
あのなんとも言えないニオイを
季節になると思い出します。
今日頂いたギンナンです。
手間暇かけてのご馳走!
なんとも言えない炒ったかおり
そして、
なんとも言えないつやとご対面、
なんとも言えない味わい・・・
あのなんとも言えないニオイが
この旨味・・・
う~む、
なんとも・・・の
ふしぎ。
秋を頂きました。
「 ごちそうさまです 」
2018年9月26日水曜日
うるしばなし 9
うるしばなしに登場する
六瓢(無病)蒔絵大棗です。
六瓢、無病を込めて、
この棗に蒔絵を施しております。
父の作品は装飾があまりなく、
シンプルな
漆の仕事のみで表す作品が多いです。
このシンプル を説明すること、
コトバにすることは、
なかなか難しいな、と思うのです。
放つ存在感は
見て下さる方との間に届くもの・・・
と思うのです。
さて、存在感とは?
カタチの美、
そのカタチが放つ
漆の色合い、
コトバよりも先に自分に届いている
何か・・・のようなもの。
2018年9月24日月曜日
ただいま
「ただいま!」
という一言を先ほど・・・
今日は、
なら国際映画祭2018の最終日に
行ってきました。
先日の投稿でちょこっと書いた
樹木希林さん主演の「あん」が
上映されることを知り、
もう一度、観たいのと、
お会いしたこともないのに、
奈良で、お会いしたい!と思い
伺いました。
上映を待っているうちからなんだか、
自分の意志とは待ったなしに、
こみ上げてくるものとの
おしくらまんじゅう・・・
上映後、
河瀬直美監督と永瀬正敏さんの対談がありました。
一方的に樹木希林さんを知っているものとは
違う、思い出をお話下さり、
またまた自分の中でのおしくらまんじゅう・・・
表現するガワと出会うガワ、
感じるというキャッチボールがそこにはある・・・
ぐるぐると自分の中で投げたボールが
掌ではなく頭の中で?気持ちの中で?上下に動いているような、
そんな何とも言えない感覚と一緒にナラからキョウトへ。
行きも見た風景を今度は帰りの電車から見る
向かう先から流れていく誰かの灯りがあちこちに、
いろんな人の日常がそこにはある。
その光景を見て、例えば、人が表現するカタチはそれぞれ・・・
音にする、色にする、カタチにする、コトバに、
いろいろである。
人には表現することができる、そして、
発することができる。
昨日の あかいいと で見えない糸の先を訝し気に見たのですが、
人と人を結ぶ、何かはあると思っているのです・・・
映画が出会わせてくれるカタチがある、
出会うことのできなかったかもしれない
セカイとも、人とも、想いとも・・・
人が発することのできるセカイは
だから、愉しいと、
そんなことをただいま!の後、
思いました。
2018年9月23日日曜日
あかいいと
この見えない糸の先は・・・
いづこ!
と、馳せてみる。
が、
ほんとに、この小指に
いつの間にか結ばれた
何とやらが存在しているのだろうか・・・
目を細め、
訝し気にじろっと
小指を睨む。
どこかで読んだ、聞いた話を思い出した!
中国では確か糸ではなく、
縄、らしいのだ・・・
しかも足首に知らぬ間に
見えない誰かが括りつけるやらなんとか・・・
糸、縄、小指、足首・・・
わりと差がある、
馳せるには少し勇気も必要な、
そんなとこであろうか?
現実を受け入れるのも
勇気が、いる?!
これからを一緒に歩く?走る?
スキップする?
そんなパートナー・・・
二人三脚の要である、
紐!
人と人を結びつけるものは
結べるもの、なのか。
気持ちが自分を結び、
そして、結ばれるとき、
何かが見えるのだろうか?
2018年9月22日土曜日
2018年9月21日金曜日
ジゲン
もう!また?!
と、
何回も開けてといい、
戸を閉めると向こう側から
開けてという。
いうと言っても、
こちらニンゲンが勝手に言ってると、
解釈しているわけですが。
この繰り返しを何回も。
イジワルをして
ちょっとだけ、
戸をあけた先に、
見えるは、
うるしうるわしにも
ちょこっと登場している
ジゲンです。
最近たまに夢に出てくるのです。
あっちに行っちゃってからは、
夢の中で毎日会ってました。
それが2年くらい続きました。
夜中寝ているのにもかかわらず、
何かがいる気配を感じて起きました。
そこに2匹のイヌ、
ジゲンとジゲンの知り合い?
のようでした。
もちろんくっきりな姿ではなく、
透き通っている姿・・・
ちょっと緑っぽいようなそんなナリでした。
しばらくじっと見てたのですが、
急にわたしもびっくりを実感し、
枕に顔を埋めて、もう一度見たときには
見えなくなってました。
それから、
ピタっと夢で会えなくなっちゃったのですが、
どういう都合なのか、
夢でときたま会えるようになりました。
黒ネコモンジャにもたまに会います。
夢って不思議です。
会えるのは嬉しいのですが、
夢から覚めてのちょっとの間、
寂しくなる、そんなキモチが
うずくまるような時間があります。
一緒にいれた時間、
すごいことなんですよね・・・
そしていなくなるということが
ある、ということ。
この写真みたいに戸を開け閉めして
ジゲンが行きたいとこへ行ってたように
今も、
開けてと、わたしの夢に入って
くるのかな?
なんて思っては、
わたしもジゲンとの思い出を
開け閉めしているようです・・・
2018年9月20日木曜日
かがみ
か・・がみよ
かがみ
世界で一番醜いのはだあれ?
ギィャー!!
お騒がせしました。
と、2013年12月23日のわたしは叫んだ。
今日はずっと、
雨が降ったりやんだりの京都です。
水たまりを見て思い出し、
もう一度、
質問をしてみようかと・・・
かがみよ
かがみ・・・
2018年9月19日水曜日
うるしうるわし 16
モンジャとジゲン
カフェタイム?
昔、
モンジャとジゲンが
無言でお互い
やりとりなのか、
そうでないのか、
そんな動かずの様子を
何度もみかけました。
交わす互いの何かって
どんなものなのかな?
なんて思いながら
見てました。
さ、
たなやのカフェがオープンします!
2018年9月18日火曜日
いろ、いろ
「ただいま」
からの、一人あそびが多いときもあった。
このコンテはむかしむかし
サンタさんからのプレゼント、である。
色を目にすると、
ほっと、落ち着く、
いつかの自分を覚えている。
絵の具を溶かして
瓶に何色もの色水を作っては
並べ、
「魔法使い」になった気でいた。
なぜか、色はわたしにとって、
魔法に、繋がっていたのである。
近所にあった「野原」と呼んでいた場所には
シロツメクサやオオイヌノフグリ
タンポポなど、野の草花が迎えてくれた。
緑や白や紫や赤や黄色、いろんな色を目にする。
野原に踏み込むまでは、
緑色がわたしに飛び込んでくる。
一歩と進むうちに、いろんな色に
足を止められた。
そして、自然の色には何とも言えない
匂いがあるのだ。
思い出にもなんとなく、
色がある。
人にも、なんとなく、
イメージの色がある。
気持ちを色で表す、コトバだったり
いろ、いろである。
色が秘める、
いろ、いろ。
自然が持つ、
いろ、いろ。
自分の中の
いろ、いろ。
気持ちを色にできてしまう
魔法のいろ、いろ。
2018年9月17日月曜日
おもうこと
樹木希林さんのことを昨日知った。
実際お会いしたことはないのに、
この感じはなんだろう・・・
とても変な言い方だが、
何か、好きな人だった。
もちろんのことで、
数々の素晴らしい樹木希林さんを
残されている。
残すことのできるものは、
歩まれた時間と経験が、
そしてその人が、なせること。
感覚や表現や
しゃべりかた、間、だったり、
その人が放つものはその人しかいない。
その人を誰かに上書き保存はできない・・・
だから、
人は、何んとも言えない何か、を
一人ひとりがもっていると思うのである。
だから、出会えることが
素晴らしいと思うのである。
身近なことで言うと、
うるしの仕事もそうである。
父から学ぶことのできる技術や技を
わたしがどこまで、いつまで、学べ、
それを身につけることができるのか・・・
という先。
「いつか」は、いつかくるのである。
すぐに完了できてしまう
上書き保存ではなく、
自分に保存しておきたいことを
学んでいく時間が人間にはある。
人から人へ、
そしてこれからへ。
培うという、
誰かが残してくれたものを
追いかけるということ・・・
2018年9月16日日曜日
2018年9月15日土曜日
2018年9月14日金曜日
オカッパババのタワゴト 5
「 鳥の歌 」
思いはいっぱいの私ですが、
生活は?
・・・まあいいでしょう!
もの作りの生活ですから!
この世の中で苦しんで生活も
ままならない人、思うように行かない
世界がいっぱいです。
戦争、災害に苦しんでいる人々に
対しての言葉がとても虚しいです。
私は子供達が小さい時に、
ずっと言って来た事があります。
「 今は、水を自由に使っている、
電気も当たり前に明るい、
食べるものも食べられている
こういう生活はあたり前じゃないんだよ!
いつも ある と思ってはいけないんだよ!」
って。
小さい子供達はきっと理解に苦しんでいたと思う。
でも、今は、何かを感じていると思う。
これからどんな世界になるか・・・
こんな小さい国に沢山の原発が!
恐ろしい事です。
災害・・・人間の力の虚しさ。
戦争・・・大国、権力の持つもののエゴ
どうしてこんなお話をするかというと
ちょっと思い出したのです。
私は昔、勿論今も、バッハが大好きで
レコードを買っては聴いていました。
他の作曲家の音楽はちょっと受付なく、
決して嫌いというのではないのですが、
落ち着かないのである。
周波数ですかね!
それでバッハの曲の中で
「無伴奏チェロ組曲」があります。
大好きな曲です。
演奏者は パブロ カザルスです。
彼は(1876年~1973年)
スペイン、カタルーニャ地方に生まれました。
昔レコード屋さんに行って3枚組の箱に入っている
レコードが欲しくて、何度も行っては悩みました。
その当時、3枚組の箱に入っているレコードは
ちょっと私には高価でした。
カザルスの「バッハ無伴奏チェロ組曲」のレコードが
欲しくて欲しくて!
ある日、やっと求めたのです。
50年前の話です。
嬉しくて嬉しくてよく聴いていました。
カザルスはスペインの人で戦争中に自分の
強い意志を持って生きていた人です。
平和と自由と人間愛を大切にしていました。
自分が演奏した後にはかならず、
カタルーニャ地方の民謡である
「鳥の歌」を演奏していたのです。
カザルスは国連で平和賞を受賞しました。
その国連で戦争に抗議して40年も演奏しなかった
カザルスはこの時90才でした。
そして「鳥の歌」を演奏したのです。
この天空の鳥達は
peace peace peace peace peace peace と
鳴くのです・・・と。
「鳥の歌」という本があります。
私も、もう一度読み返してみたいと思いました。
2018年9月13日木曜日
チャップリン
Swing little girl
Swing high, to the sky
And don't ever look at the ground
If you're looking for rainbows
Look up to the sky
You'll never find rainbows
If you're looking down
Life may be dreary
but never the same
Someday it's sunshine,
someday it's rain
Swing little girl
Swing high, to the sky
And don't ever look to the ground
If you're looking for rainbows
Look up to the sky
But never, no never look down
チャップリンの THE CIRCUSで
聴こえてくる歌です。
チャップリンは小さい頃から知っています。
知ってるって?何を?
帽子をちょこんと頭に乗せ、
ステッキとつま先が、
靴に、足に目がいってしまう、
そして白黒映画にくっきりと
印象に残る、あのヒゲ・・・
小さい時は、
あまり覚えていないのですが、
ただただ、おもしろくて、
笑っていた。
今、改めて観ると、
もちろん笑ってしまう、
だけど、
すごさをも、
ただただおもしろかったで、
終わらせることのできないものが
含まれている・・・
「すごい・・・そして、すばらしい」
である。
チャップリンの映画総て白黒ではないのだが、
目に見えている、見覚えのある、色のある日常、
白黒になっているこの数々の映画には、
人間が本当に見なければいけないものが
映っているように感じた・・・
笑いに乗せた、
メッセージ・・・
生きていること、
生きること、
そして
いつか死ぬこと、
チャップリンの映画は
語ることはなかなかできない・・・
と思っている。
ただ、感想だけ、
この世にある
コトバは、
人間が総てとは言い切れないが
持ち合わせているものであろうか、
善と悪も・・・
今、チャップリンがこの世を
空から
覗きこむことができたら、
どんな感想だろう、
ちょっと映画のエンドロールを
見送りながら思った。
If you're looking for rainbows
Look up to the sky
But never, no never look down
もし虹を探すのなら空を見上げなさい
決して 決して
下を見てはいけないよ
2018年9月12日水曜日
うるしうるわし 13
ついに?
ちらっと、
師が、登場致しました。
ずいぶん前に師である父に、
このページを見せたところ
「わし、こんな顔と違う」
と一言申しました。
本人曰く違うらしいのですが、
こんな感じで登場します。
師と弟子、
父と娘、
今となっては
師である父に
噛みつくありさまの
ナマイキな弟子、娘をしております。
先ほども仕事中、噛みついて
しまったのであります・・・
さ、昼の休憩が終わりますので、
仕事に戻ると致します!
2018年9月11日火曜日
2018年9月10日月曜日
2018年9月9日日曜日
うるしうるわし 10
この筋トレ、
続けております。
「続ける」には、
いつの間にか・・・
いろんな変化と発見と、
いろんなものと出会える。
もちろん、
いいこともあんまりなことも。
ま、30才過ぎての筋トレです。
鈍りきったカタマリを動かすのですから、
ま、
「く、苦し~」
とカタマリが最初は訴えておりました。
が、
今でも楽ではないのですが、
続けています。
筋トレだけではなく、
気持ちの筋トレも
必要だと、
仕事をしているうちに
思ったことでした。
気持ちがつかさどる
力が、
続けるには必要・・・
この気持ちの筋トレは
なかなか
わたしには難しいのであります。
今日も筋トレ
明日も筋トレ
明後日も筋トレ
ずっと筋トレ
目指すは?
2018年9月8日土曜日
オカッパババのタワゴト 4
「のみも痴漢も何のその!」
人の人生が色々な形があるように、作品(表現)も
色々な形を生むと思う。
そして、それに対して、
好き、嫌い、感動、嫌悪・・・色々である。
それでいい!と思う。
あえて、嫌悪を表すという作品もあるのだから。
感じる者との対話があるので、
これ又楽しいのではないのか。
私は、中学、高校の時、映画館によく行った。
暗い劇場内に後ろから、青白い一筋の線が引かれる。
人がその一筋を通ると、画面にはその人の
黒いシルエットが写る。
しかし誰も文句は言わない。
そして時々「プツーン」と画面が真暗になる。
でも誰も何も言わず、再演するのを静かに待っている。
そんな時代だった。
映画が終わって帰る時は、
その主人公になったみたいにちょっとエレガントに
歩き方、手の動き、目線が違っている。
現実から一瞬飛ぶのである。
何とも言えない至福の時であった。
だから映画はいつも一人で行っていた。
現実に戻されても、又劇場に行けば
好きな主人公になれる。
そんな所であった。
話が小学校になるが、
私はなぜか泣かない子であったようだ。
そして、この時代はなぜかママ母、
いじめの物語が多かったように思う。
そんな時、昔、石巻に(今もあるのだろうか)
岡田劇場へお手伝いさんがよく私を連れて
そのママ母物語を観に行くのである。
私は本心、見たくなかった・・・
が、私を泣かせたかったようである。
でも、私は泣かなかったのだ。
それから私の姉である。
これは定かではないが、私を怖がらせたかったのか
泣かせたかったのか、とにかく小学校低学年だったと思う。
石巻には映画館が数件あった。
その1つ、町の中で「君の名は」は
この劇場で見た記憶がある。
姉に連れられて行ったのは、怪談で、
化け猫の映画であった。
かなり奇妙な物語だった。
首を切られて、その首が仇を討つ為に
飛び回るのである。
白黒だったので何とも集中的であり
こわかった。
しかし中身がきっと印象に残らなかったのだろう
首が飛び回っているという記憶しか残っていない。
私は泣かなかった。
でも、もうちょっと大きくなった私を
この姉は、黒澤明監督の「天国と地獄」に
連れて行ってくれた。
かなり今でも印象に残っており、社会性もあり
感動したのを覚えている。
山崎努さんが素敵だった!
そしてラストの煙が揚がるシーンがいつまでも残った。
残るものとはどういう事なのだろう!
やっぱり本人、作る人、見る人の感覚や
人間性があると思う。
あくまでも好みなので、
何がいい、悪いという事ではない。
例えば探偵物の映画を思うと、
なぜか何回も見たいと思わない。
しかし、昔のジェレミー ブレッドの演じる
シャーロックホームズは何回も見れる
探偵物であった。オーバーな表現が嫌味がなく
かなり好みで怖い映画なのだが、美しい!
映像が心に残っている。
好きな映画である。
我が夫は何回も観ていたようで
「あの映画はいいねぇ」と言っていた。
現代のシャーロックホームズもなかなかおもしろかったが
何度も見ようと思わなかった。
何回も見たい映画は、大好きである。
娯楽されど・・・です!
私が20才前後の学生時代に仙台に
名画座があり、たばこの煙が充満した中
一筋の青い光が煙でゆらめいていた。
痴漢、のみが多発!
しかし、いつまでも見ていられる、
良き時代であった。
沢山の映画をこの時代に見ている。
映画館は行くまでと帰り道に何か自分だけの
思いの世界が心を満たしてくれる。
特にエンドロールが好きである。
余韻の中にどっぷりと浸かる、
何とも言えない自分だけの世界、
最高である。
真暗な中での余韻は映画館でしか
味わえない場所である。
今は家で自分の時間を使うことが出来る、
DVDである。
我家はテレビがないので、夜はDVDを見る
といったババにはなかなかいい友達である。
でも、これは劇場でしょう!
と思う時にはヨッコラショと向かうのである。
私達の時代は娯楽があまりなかったので、
よく劇場へ行ったものです。
それはそれは、のみも痴漢も何のその!
笑えますね!
映画は現実から逃避行(遠飛行)出来る最高の
心の居場所である。
私にとって、ですかね!
2018年9月7日金曜日
相棒
はじめまして!
これから、よろしく!
と、挨拶した相手は
この小さな机。
漆の仕事をする
わたしの相方、相棒である。
40×50×20.5のサイズ
常磐(じょうばん)というミドルネーム?を持つ。
わたしが、うるしをはじめた、
その日からタッグを組んでいる。
数年前からのおつきあいである。
「よろしく」「おつかれさま」
と返事のないやりとりを繰り返す。
この小さな机の面積から学ぶ
うるしのセカイがあるのだ。
そして、座り込み
うるしの仕事の
時間を感じる、のである。
2018年9月6日木曜日
楽譜?!
何か楽譜みたい!
どんな音楽だろ?!
と、2012年8月9日のわたしは遭遇した。
この楽譜の背景は少し曇り空で
ちょっとぐずっているような
そんな天気でした。
音符のような鳥をみて、
感じる音楽、
少し雲がかかった
この空を印象に音符のような鳥を
音にする・・・
音を、楽しむ。
季節はしっているかのように音色をかえる。
風が葉を揺らす音、
暑さを増すかのように響く蝉の鳴き声、
秋の音が、時間になると聴こえだす、
寒さを聞かせるような風、
巡る季節の音。
音を、愉しむ。
2018年9月5日水曜日
2018年9月4日火曜日
止まれ!
「だ~るまさんが~こ~ろんだ!」
と言われたら、何かしている最中に動きを止めるだろうか?
どうですか?
止まれ!や、止めろ!
と言われたら?
意志に反していたら、
必要のない、届かないコトバになる?
止まれや止まるは全く違うもの、か。
命令であったり、願いであったり、
そんな誰かに向けてのコトバ。
止まるは、自分の意志がブレーキをかける。
自然に対しての止まれは、
願うことしかできない。
人間は自然には抗えない・・・
台風の強風の中、そんなことを感じていた。
自分は、こんな時、
願うしか、コトバにするしか
できないということ。
「異常」となってきている、
自然が人間に求める、
「止まれ」に、立ち止まらなければならぬ
今なのではないだろうか・・・
「だ~るまさんが~こ~ろんだ!」
充元気
今日はどこにさそうかな・・
充元気!
(笑)
と、2015年4月28日のわたしは呟いた。
充たされる、満たされる・・・
人にとっての充電はどのようなものであろうか。
それぞれのミタサレルがあるに違いない。
生きることに、
けっこうバッテリーが必要だ・・・
2018年9月3日月曜日
2018年9月2日日曜日
一寸法師
片づけをしていたら、
昔々なつかしのカゴが出てきた!
たぶん、三才くらいかな?
わたしにとってはただのカゴではなく、
船(お椀)としての思い出しかない!
そう、
一寸法師になりきってたのです。
棒を持っては一生懸命漕いでいるマネをしていた・・・
今気づいたけど、穴だらけのカゴだし、
浮かないじゃん!
わたしがなりきってたのは、
一瞬法師じゃん!
と、またまた変なこの内容は、
2012年8月22日のわたしが投稿したものです。
いつまでも、
時間が経っても、
浮くことのない、
思い出話であります。
オカッパババのタワゴト 3
「 スクランブル 」
ババがババを観察する話などおもしろくも
何ともないかもしれないが、
ババ達も若い時があったのだから・・・
空想とは違う、人を観察するのも、
ちょっと好きかもである。
おもしろい映画の一場面のようで!
かなり高齢の方、80才以上か90才以上であると
思われるが、二人でお喋りをしている。
とても綺麗なお二人で紅も鮮やかにさしている。
そしておしゃれである。
大きな声でのお喋りだった。
よく私にも聞こえている。
おもしろそうなので耳を傾けた。
しかし、お話が全然噛み合わず、
私の方が混乱してしまった。
二人のお話は全く違う話であり、共通の話が全くなく
勝手に自分の話を喋っている。
かなり盛り上がっている。
しかし、感心したのは、かなり耳が遠いお二人なのである。
それが、相づちが完璧なのである。
すごい!
目の動きも、相手を見て話している訳ではないのに、
相づちは完璧!
どういうことなのだろう。
あまりジロジロ見たら失礼なので、
見て見ぬふりをして見てるのだ。
しかし、老人パワーは、間を感知するのだろうか、
長年の感であろうか。
まだまだ、及ばない私である!
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