4
5
6
7
8
9
4 圧縮ウールしわ加工の布 H38×W34
5 圧縮ウールしわ加工の布 H35×W20
6 H32×W29
7 H22×W21
8 H37×W50
9 H38×W38
五体不満足のバッグ 登場!
作る時、何かが判断を求めるのです。
作りたいもの?
作ってみたいもの?
明るい色?
ちょっとシックな色?
持つ人を画く?
ちょっと遊んでみる?
シンプルなものにする?
自分自身なのに、
ちょっと自分を超えて
自分を追いかけている自分がいる。
自分が自分でないような・・・。
ちょっとほめてみたり、
何だよお前!とおこってみたり。
なかなかおもしろい独り善がりの
バッグ作りである。
以前は、バッグじゃないような
そんなバッグをよく作っていた。
娘がそんなものを特に好きなようで、
おもしろい!といって、
「チョウダイ! チョウダイ! チョウダイ! 」の
連発の末、自分のものにしてしまうのである。
チョウダイバッグは、たまに見ると
ニヤリとしてしまうのだ!
なくなりますよ!
早い者勝ちですよ!
どんなもんじゃ!
ということで、
名付けられた、
モンジャという黒ネコのはなし。
うるしうるわしにも登場している、
モンジャとジゲン。
ジゲンのことはちょこちょこと
ブログで書いておりました。
すると、
それでなのか?
モンジャが数日前に夢に現れまして、
「オイラのこと話してないよね・・・」
というようなことを申すのです。
もちろん、
コトバはコトバでなく、
そんな内容をキャッチ?!して
夢から醒めるのですが・・・
そういえば、
モンジャに出会う前に、
夢で先に出会いました。
黒ではなく茶と白の子猫だったのですが、
11月の寒い朝でした。
夢から醒めて居間に行くと、
庭から
「ニャーニャー」と聞こえてきました。
あれ?
夢から抜け出したはずなのに・・・
静かに耳をすませると、
かすかに、
ニャーニャーと。
「 ! 」
という、
そんな寒い朝に出会った
黒ネコが、モンジャでした。
あっちに行くときも、
傍にはいれず、
帰路中、
うたた寝しているときに、
モンジャが夢の中で?
よぎったのでした。
座布団みたいな、
クッションみたいな、
どんな表現があてはまるのか、
真っ黒なので、
大きなカタマリにしか
暗いと見えないのです。
写真を撮っても、
黒だから・・・
ということも多々。
ただ、
かわいくて、
未だに、
愛おしい・・・
そんな存在です。
ダッコしたいなぁと思っても、
思い出や頭の中でしか、
描けない。
感覚は、
描くことしか、
できないのです。
存在している、
そんな「 今 」は、
大きなカタマリです。
存在は、
透明でも、
影になる。
いない、
存在は、
影にならない。
そんなことを思い、
思い出したりしながら・・・
11月の寒い朝を思い出しました。
さて、
ド素人のオカッパババとわたしが
はじめた、
うるしうるわし。
手書きの追加部分があったり、
手作り感たっぷりですが、
うるしうるわし40となりました。
作っていたのが5、6年ほど前なので、
なんだか、
こんなこともあんなこともあった・・・
なんて、
ちょっとまえの出来事を思い出しながらの
自分がいます。
自分なのに、
今の、自分になっている。
変な表現なのですが・・・
おっと、
モンジャとジゲンが
行きつけのバーで待ってるので、
このへんで・・・
行きつけのバーに、
いざ!
「 1001g 」
ノルウェーの監督、
ベント ハーメル 「 1001g 」
( 監督、脚本、プロデュース )
という映画をまたまた観た。
2014年の映画である。
総てがセンスがいいのである。
特に人間を描くのが最高である。
そして、ユーモアが伴っている。
映画の内容を話すのは
やっぱり止めておくことにした。
観て、感じて欲しいからである。
映画の中には素敵な言葉が溢れている。
何か旋律のように響く。
主人公のマリエは、
ノルウェー計量研究所で働いている。
パリ国際セミナーに出席した時、
研究者数人が話している内容が、
なるほど・・・
「 昔から言うように腕時計は1つで時間は分かるが
腕時計2つだと正確かどうか不安だ 」
という話である。
計量のヒントなのだろうか。
マリエはパリで知り合いになった男性に
父親を亡くした悲しみを話している。
「 父親を亡くした時
人生のすべての基準点が 崩れていくみたい 」
と、そして、父が亡くなる前に
「 自分の人生を量りにかけろ 」
と言われていた、と。
彼は言う、
「 それは真実だね。 人生にはカオスが必要だ 」
「 僕らが求める基準は安心な答えにすぎない 」
彼女は、「 安心な答え? 」と聞く。
彼は言う、
「 1000g、7ケタ、27ケタ、10の8乗、
人生の重さは?
そして愛は?
どのくらい重い?
僕らが捜しているのは自分自身なんだ。
でもね、フランスの詩人アラゴンは
生き方を学ぶ頃には手遅れなんだと言っている。 」
そして、
「 人生で一番の重荷は
背負うものがない事 」
と、映画の中で語っている。
心のハカリは・・・。
先日、朝日新聞の天声人語で読んだ文章がある。
「 1001g 」の題は
とても深い所に想いがある。
ベント ハーメルの心の深さは、
かなりであると思った。
天声人語の最後の文章は
この映画の最後のシーンと重なる。
この映画の中で父親が娘にこう言っている。
「 次世代は計量ではなく
原子数の計算になるぞ 」・・・と。
モンジャとジゲンの
後ろ姿。
なんとなく、
伝わってくるような・・・
2012年11月18日の
6年前のこと。
明日の仕込みの準備中!
卵の殻むきしてたら、
何となくカオに見えてきた。
見えるかな?
と、
たなかやの仕込み中に
6年前の
わたしも出くわし、
つぶやいておりました。
偶然にも、
今日も朝ご飯に
茹で卵を。
そして、
殻むきしていると
だんだん
見え・・・
だんだん、
だんだん
今日のカオが・・・
NO TIME !
NO TIME !
こればっかり、
今日は、
頭の中を
ぐるぐる
ぐるぐる。
でも、
日々、
NO TIME !
なので、
ある。
「 後ろの正面だ~れ~? 」
うるしばなし
P37
今日の出来事、
あれこれは、
また、
後日としまして。
ヒーロー
みたいな、
人が続けている何かは、
後ろ姿のようなものだと、
思っています。
さて、
楽しもう会、その2の話。
2013年1月20日
蕪村の文人画と春信の浮世絵
早川 聞多 先生にお話をして頂きました。
聞多さんには、
たなかやで、
「 船木本の洛中洛外図 」の話をして頂いたこともあります。
このときは、ハハが
「何かお話してくれませんか?」
という一言で決まりました。
それからだいぶ時間がすぎての、
「 また何かお話を・・・」
というお願いになりました。
早川門多さんは、
春画の研究で有名な方です。
ご存知の方もいらっしゃると思います。
本もいくつも出されておられます。
おもしろいですよ!
「春画 」と聞いて
どんな顔に?
どんな表現?
が出てくるか。
人それぞれかと。
わたしも最初は、
ちょっと、距離といいますか、
そんな、感じがありました。
が、
聞多さんがお話下さるその世界に入ったならば・・・
という具合に、
興味と深さと、粋さ・・・
今でいうマンガのようなもの?という感覚でした。
描かれている人物を見て、
着物や部屋の状況や書かれている言葉、
それらのヒントから想定するというか、
読み解けるそれは、
おもしろさに繋がる。
細かな画、色彩などなど、
素晴らしいという感覚に出会ったのでした。
知る、ということは、楽しい。
もう、6年前となりました。
たなかやでの会をちょこちょこと
していたことを思い出しました。
6年前の今日。
味方 健 先生に講演をして頂いたのです。
ことば -文字- 表現
ー 言語の復権を願って ー
なんて、
懐かしい!
「 たなかやでお話してくださいませんか? 」
とのやりとりからはじまり、
話のタイトルやら内容やらを伺ったり、
パンフレットを任せてもらったり、
そんな、
わたしにとってもいろんなことが
はじめて。
以前にも、
たなかやでいろいろな会を
していたこともあるのですが、
わたしも加わっての会は、
確か、これが初めてだったと思います。
わーわー
ギャーギャーの
準備期間だったのを思い出します。
講演後はお話下さった先生と混じって
お酒とおつまみと話を肴に盛り上がりました。
「はじめまして」の輪が、
人とも、そして、
学問やいろいろな分野とも
繋がっていく。
ぎゅうぎゅうの
たなかやに、
笑い声と、いろんな会話が
いくつも重なっていました。
お酒もいつもとは違う、
たなかやには置いてないお酒を
探しては用意しました。
いつもいらして頂いて、
知っている味ではなく、
そんな、会での楽しみを。
日本酒を知っていく、
好きになっていく、
わたしにとって、
そんな時間や出会いでした。
ハハが言っていました。
「 楽しむ 」とは、
愉快に感じると、
もう一つは、
豊かになるという意味を持つようです。
よくばりの店主はもっと沢山楽しみたいと思い、
たなかやで、楽しもう会をしようと思いました。
愉快に、豊かに、想ってみて下さい。
わくわくして来ます。
そんな想いからはじまった
たなかやの楽しもう会は
6回ほど、
いろんな分野の先生方に
お話をして頂きました。
11月18日(日)が
思い出させてくれたこと、でした。
1日過ぎてしまいましたが、
昨日、
11月11日は何の日かご存知ですか?
11月11日は、
いろいろな日のようですね・・・
新聞で知ったり、ラジオで知ったり。
ピーナツの日でもあるようです。
同じく、ラッカセイの日でもあるのです。
1985年に制定されたとか。
いつだったか、
食べ終わったラッカセイの殻を
合わせることのできる、
もう一つをたくさんの中から探しました。
そう、
神経衰弱のような、
そんな感じで。
どれも似ているようで、
ちゃんと?
元の反対側、
ピタッという、
そんな、
もう一つがある。
もしかしたら、
人って、
自分と似ているような
同じような
そんなもう一つを探している??
同じじゃなくていいのだけれど、
どこかにいつの間にか持っている
自分の中の何かを・・・
ラッカセイで例えるなら、
割ってみないと、割られないと
知らない、存在?!
そんな、何か。
それを
パシャリ!
今日の写真です。
「 食用菊 」
親しみのある名前であったり
食べ物であったり・・・
皆さんはどうでしょうか?
わたしは小さい頃から食べているので
少し懐かしさが一緒によそわれる、
そんな感覚があります。
久しぶりに、頂いて
本日の食卓に。
菊の花の酢の物です。
よそわれた、
それは、
なんとも言えない
「きれい」と
思わず口から出る、
そんな色合い。
そして、
口に運ぶと
菊の香りが漂うのです。
そして、
なんとも言えない歯ごたえ!
懐かしさも、
「いただきます!」
またもや、
みーつけました。
アクセサリーのディスプレイ用に
自作の服・・・
夏ものと冬もの。
これまた、
ゴソゴソしていて
見つけたものです。
と、言っても
ちっちゃな、
ちっちゃな洋服。
ちょっと久しぶりに、
手づくり を、
思い出したのでした。
もちろん、
うるしの仕事も手でするので、
手づくり、なのですが・・・
だから、
久しぶりは少し違和感のある
表現でしょうか?
しばらく
自分の中で作るのを休んでいた、
アクセサリーを昨日、
引っぱり出しました。
あら、
懐かしい!
あら、あら、あら・・・
といった具合でした。
あれ?!
「 自由だ! 」と
思わず口にしていました。
うるしとは、また違ったものを
作りたい!という気持ちになりました。
うるしの仕事が頭の中でいっぱいになり、
なんとなく、
片づけをかねてあちこちゴソゴソしていると
久しぶりの自分で作ったアクセサリーが
顔を出しました。
すると、
ふしぎな感覚が頭と気持ちに
降り立った、ような?
そんな何かがわたしの中に着地したのでした。
作るという、それをするのは
自分に違わないのですが、
感覚的なもの?
考え方?
また、
うるしの仕事も違って見え、
作るということが、
ますます楽しい!
と思ったのでした。
だいぶ前になりますが、
たなかやの大きなテーブルでアクセサリーを
作っていると、
ジゲンが寄ってきて、
何故か、
わたしの膝の上に乗ってくるのです。
何故か、
普段はダッコなんかさせてくれないのに。
そして、
手元が見えなくて、
場所を変えると、
気に食わないと言わんばかりに、
声を出すのです。
そして、どかないのです。
そんな懐かしい写真とともに。
また、
仕事の合間にちょこちょこと、
はじめてみようと思います!
練るという、
ひたすらの
仕事。
松田権六さんの
「うるしのつや」の中に、
モーターでなら三十分でできるものを、
兄は一日がかりでこねくりまわしている。
ずい分無駄なことだと思っていたが、
後に経験を積んでくると、
機械と手とは大違いなことがわかった。
手でゆっくり練ると、漆の中の有機物と
無機物がすっかり交じり合う。
そうして練った漆は、
つやがありきめも細かく
盛り上がりも高く盛ることができる。
機械の方はただかきまわすだけで、
練ったことにはなっていないから、
漆の乾きがわるかったり、つや、
肉もちが劣っていたりするのだった。
結局、手間どるようでも兄のような昔からの
やり方の方がかえって理論的、
合理的なことがわかったのである。
と、書かれている。
練る仕事は、
ただ、
手で練り続けるという、
シンプルな仕事。
その練っている漆に
自分が映り込むほどである。
この写真は、
わかりにくいのですが、
光を写し込んだ写真です。
うるしのつや、
なんとも言えない
美しさがある。