2020年7月20日月曜日
オカッパババのタワゴト 25
辛とうのパワー
熱いのと辛いのは、 超難解である。
ずっと前から知人のお店にお野菜を買いに行っています。
京野菜時待ち(ときまち ) 無農薬野菜を販売しているお店です。
その時の旬のもの、その時に出来たものを販売している。
京都のお野菜に限っている。
採れたてなので、とても美味しく新鮮である。
身体が満足感を覚える。
さて、先日晴れ間を見て、時待ち店に行ってきた。
細いしし唐かな? と思いきや、辛とうと言うらしく
辛い辛い辛い らしい。
二袋しかなく、ちょっと興味をそそられた。
聞いてみたら作っている家族の中で息子が作り、息子しか
食べないらしい。ならば、買ってみよう!
二袋買い、浩史と娘に一本を半分にして試食をお願いした。
自分は老人であることをアピールし都合よく回避。
二人は一口、「言うほど辛くないよ」と、暫く無言で味わっていたが
「かなり辛い」 「うっ 辛い」 目が真っ赤になり、充血している。
辛いのが好きな娘は、汗と涙が出ている。辛いのが苦手な浩史は涙は
出ていない。どんな違いなのか? 頭としっぽの違い?
やっぱりかなり辛いようである。
観察している私もかなり辛い存在である。
家族で止めておけばいいのに、たなかやの常連さんに、食べてみる?
かなり辛い私である! 人の悪さが露呈した!!!
同じく「かなり辛いね」 と、目が赤く充血、涙と汗が出ていた。
辛いのが大好きな常連さんは、「これ、かなり辛いね、胃が熱いね」
「二本は無理かな」と・・・
ごめんなさい! ちょっと罪の意識が働き、ザーサイを作る時に
種を取り刻んで入れてみた。
食べてみたら全く辛くなかった。 「あれ!」辛いのは種? 身を
食べた人も、辛いと言っていたけど、どういう事だろう!?
ちょっと興味があるので、瓶詰めにしてみよう。
とてもいい容器を見つけた。純米酒が入っていたワンカップのガラス
容器である。蓋形式がよく、しっかりしていて気に入って求めた。
中身が呑めるのだから、一石二鳥である。
一つは醤油漬け、二つ目は味噌漬け、三つ目はこめ油漬けにした。
漬け汁は調味料に使える。辛とうは薬味やおかずに使える。
この作り方は、ユーチューブにアップします。
漬けたものを味見してみます?
勇気のある人、たなかやで待ってます!
2020年7月19日日曜日
オカッパババのタワゴト 24
辛とう
辛いはなし
今、YouTubeを作ってはアップしている。
しかし、なかなか大変な作業である。
アイデア, 構成、感覚、ユーモア、アピール
そんな想いを画面の中で、作りあげていく。
まだまだ早くアップ出来ないでいるが、
そこが、その人在りきである。難しい所である。
勉強の為と称して、ユーチューブをみているが、
なかなか、面白いユーチューブに出会えていない。
そこで、自分が面白い! という思いが問題である。
人は千差万別であるということである。
自分がいいと思っていても、人にはそうではないと
いうもののようである。
私が好きでいいと思う動画はあまり評価されて
いないのである。「何で!」といつも思うのであるが、
「そうなのか」と・・・
ユーチューブはちょっとした気分転換なのだろう。
それはそれでいいと思う。
私もそういう見方をするのだから。
納得いくところではある。
よく、ユーチューブは好きなように自分を表現できて、
誰にも指図されず、自由に作れる、と謳歌する。
それは、そうなのだけれど、テレビより自由な表現が
面白いと言われている。
身近な感じがするのだろうか。それも求める側の
自由であるが、しかし、素晴らしいドキュメンタリー番組、
アートの世界の表現、沢山の優れた才能を集結して出来上がった
作品などは、求められないのだろう。
そういう作品が恋しい!
しかし、人の興味は色々であるという事である。
今の人達が求めているモノがユーチューブにあるのである。
ユーチューバーは、人が求めている
事を捜し、それを映像化している感じがする。
パターンが同じように思う。ユーチューブはそんな映像で、
溢れている。
ユーチューブは見ている人が作り出していると言っても
過言ではないと思う。
そして、我がユーチューブは私達が表現したい事をアップしている。
人にとっては面白くない事かもしれない。
見る、見ないは自由である。 私も選んで見ている。
ちょっと考えてみる。100人の絵の展覧会があるとする。
これは一つの会場で入り口から出口迄観て行く。そして、同じような
絵が100あるとします。
どんな感覚だろうか。
きっとそれでいいと思う今なのだろうか?
しかし、自分が表現したモノが、見てもらえなければ、何をして
いるのか・・・ということになる。それが現実である。
しかし 何か恋しい!
、
2020年4月14日火曜日
オカッパババのタワゴト 23
憤りの限界
憤りの限界が、世界を覆っている。
一個人の力は? どんな言葉も虚しく、
生きる事の厳しさが、人を襲っている。
あちらこちらの雑音が、意味がなく、
何か怖ろしい。
皆、こんな中で生きている。
落ち込んで悩んでいても、何も始まら
ないのだが。
自粛の中での数時間、たなかやに、数人の
お客様がいらして頂きました。
「笑うのって、最高の免疫を高めるらしいよ!」
楽しいお話の中で、語らい、笑ったり・・・
こんな中、自分を見つめるいい機会であると
思う。
そして、人の優しさが身に染みるのである。
ところで、昔の映画であるが、黒澤監督の
内田百閒作「まあだだよ」をお薦めします。
是非、観てみてください。
大好きな映画です。
笑って、泣いて下さい!
まあだだよ!
2020年3月20日金曜日
オカッパババのタワゴト 22
天地有情
なかなか終息しないコロナウイルスの中、
長い間、よくいらして頂いた二人の知人が
京都を離れることになりました。
お二人は、あまり沢山の言葉を発する方達
ではありませんが、なかなかの個性があり
楽しかったのです。
この個性に出会えなくなると想うと、
一抹の淋しさを覚えます。
しかし、人は一つの所に留まりません。
自分もそうでしたから。
でも、送る側と、送られる側との想いの
違いがあります。
天地有情と言う言葉があります。
天と地があり、それをどのように思う
かが、その人の所以である。
沢山の出会いがありますように。
又、たなかやで会いましょう。待っています!
私は、滑舌を鍛えておきますぞ。
娘は何を鍛えるのでしょうか・・・?
2020年3月5日木曜日
オカッパババのタワゴト 21
京都府立京都学・歴彩館
3月4日、雨が寒そうである。
でも、ちょっと調べたいものがあり
資料館に行くことにした。
今は新しくなって、京都府立京都学、歴彩館
となり、場所も変わった。
府立大学の敷地内にあり、館の中にも大学の
書庫がある。
とても落ち着いていい建物である。
図書館が好きな私にとっては、すこぶる上機嫌で
ある。
今日は、自分の調べものを優先して、ちょっと
だけ蔵書を下調べ。
今度はゆっくりと、本の世界にドップリと
埋もれよう!などとかなり楽しみである。
最近は色々なジャンルが面白い。
・・・と、周りを見渡すと、男性(老人)が沢山いた。
女性(老人)は一人もいなかった。なぜ?
そこにいた男性は辞書を片手に英文を
調べていたり、資料を見ていたり、皆さん、
何かと学んでいました。
学ぶことは楽しいですよね!
知らない事が解るんですから!
話が飛びます。今日の新聞に、会社の上司が、
マスクはかっこが悪いと言って付けなかった
みたいだが、感染してしまったらしい。
ちょっと・・・ですね!
私も、皆がマスクをしているので大丈夫だと
思っていたが、今はどんな所にも、菌が存在すると
いうことですね。
心がけよう。インフルエンザと思えば、
そんなに騒がなくてもと思うのだが、少し大人しく
しておこう!と、しおらしい私である。
感染の広がりが早く終息しますように。
2020年1月5日日曜日
2020年になって!
オカッパババのタワゴト!
2020年になりました。
喪中につき我が家のお正月は、
いつもと違う年の始まりでした。
久々にブログを上げます。
ちょっといつもと違うところは、
今までは娘に手伝ってもらっていましたが、
今日から自分で上げていこうと決めました!
今年もよろしくお願い致します。
羊毛の塊りと、
水玉のりぼんで
生まれました!
むすんでひらいて
むすんでひらいて
むすんでばかりじゃ、身動き出来ないし
ひらいてばかりじゃ、まとまらないし
やっぱり むすんでひらいて
心の中で結んだら、
何となく開きたくなるよね
だから
むすんでひらいて
むすんでひらいて
皆さんにとって、楽しい年になりますように!
そして、 いつも有難うございます!
ちょっと73才奮闘中 オカッパババです。
2019年9月7日土曜日
オカッパババのタワゴト 20
ブログにて、今迄二人で選んだものをあげている。
何か、想い出が記憶を誘って
私のペンが走るのである。
そしてあの時、あの場所、あの想い。
辿るものがあるという事、私達は幸せである。
そして、子供達にも伝わっていると思っている。
もの作りの生活の中での買い物は、
かなり厳しかったが、好きこそ!
その人を応援したい!と思う心が、
私達を動かして来た。
それは満足感ではなく、満腹感なのである。
私は沖縄の芭蕉布が大好きである。
しかし、帯、着物は高価であり、
古い裂地を求めるのが精一杯でした。
でも、私は満足であり、触れては楽しんでいた。
慈しむ、愛しむという感であり、
魅了されていたのである。
この布が出来上がるまでの、手仕事に携わっている人達に
頭が下がり、名も残そうとかではなく、
モクモクと仕事をしている姿が浮かびます。
よく布や織が好きで、自分なりに本を読み、
資料館に通い、私なりに学びました。
知る事の楽しさとワクワク感を思い出します。
同じ芭蕉布でも、織の模様でも、
それぞれに違うし、無地はさらに個性が出るのです。
人間が作り出しているものだから、
その人の個性が出るのです。
ものや作品は、その人、そのものである。
沖縄の暑い陽射しをはねのけているような
ちょっと、男性的な感がある布である。
「琉球芭蕉布」辻合 喜代太郎 著 はくおう社刊の本に
出会って、この本を求めたのです。
時間が浸みた外側の箱
箱から出した本のケース
本の中身
お茶の懐紙を入れる袋を芭蕉布で作り
中は古布で中敷きを作る。
この本は昭和48年限定200部作られました。
そして布に対しての想いで出来た本であり、
大切に作られた本である。
総和紙で出来ていて、裂地の見本が貼ってあり、
それはとても大切に思う本である。
今、開いてみて、求めた事に、
今さらながら、大切にしなければと思ってしまう。
生きていての出会いである。
抜粋ではあるがこの本の序にはこんな言葉が書いてある。
序 -----
この亜熱帯に属し、高温多湿という特有の風土に生まれた
芭蕉布は、島の人々の生活の中から自然的に生まれた世界各地に
例の見ない琉球独自の衣服地であり、芭蕉という特殊な材料から
困難な手仕事によってつくられた、この美しい布は、
まさに天与の贈物とさえ思われる。
ーーーーーー
跋 -----
琉球の自然的条件が自ら生み出さしめた天与の衣服地、
それは芭蕉衣であるといって過言ではない。
あの素朴な色調、美しさを誇った芭蕉布は決して琉球の人々に
忘れ去ることが出来ないものであろう。
この長い年月、この琉球の人々に親しまれ愛された芭蕉布の
真の価値を認識すると共に永久にその生産技法伝承し
琉球伝統織物としての芭蕉布の意味をいまいちど
検討しなければならないのではあるまいか。
著者
私達は、色々学び、大切ものに出会わなければならないと思う。
1つ失われて行く事は、みんな連なっているものを
失うという事なのである。
私がこの沖縄の文化、工芸、芸能に喜びを見出した事が、
私の人生に、心の豊かさを頂いた事に心から感謝しているのです。
日々の営みの中に、沢山の学びがあるという事である。
2019年8月20日火曜日
ocapa です。
もう、
8月も終わりだというのに!
麻のバッグを2点、
(今、もう1点制作中)を、
作りました。
麻の風合いがよく、
好きな素材です。
1.横42✕縦35センチの大きさで、
手は子羊の柔らかい革。
2.横30✕縦27センチ、
フリルのところも麻。
でも、
麻はオールシーズン、OK !
その時の気分で作るので、
数が作れません。
そして、
ナマケモノゆえに!
オカッパのタワゴト!でした。
ラベル:
オカッパババのタワゴト,
おかぱ,
たなかや
2019年8月17日土曜日
オカッパババのタワゴト19
蝉噪ぐ
今、蝉の鳴き声でいっぱいである。
昨夜、玄関で蝉の脱皮に出会った。
季節だし、「蝉噪ぐ」の書を飾ろうか・・・
と、話していた矢先である。
この書は、大分前に、今は無くなってしまった
四条通りに面していた画廊にて求めた書である。
私達にはかなり高価であり、
でも、書ではなく絵の要素が濃く
二人共とても気に入って求めたものである。
そして、
その作家は画家でもあるが、
字を絵のように描いていた。
本人も奥さんもとても品格があり、
そして生活に感性があった。
お邪魔した時も、
古い平屋のお家であったが、
花の生け方もとてもセンスがよく、
私と彼は、とても幸せだった。
生活の中で、自分の持っている感性は
一貫しているのだ。
だから、とても居心地がよく快かった!
そして、高価なお料理ではなく奥さんの工夫から生れた
手作り料理であった。
とてもおいしかった!
しみじみと今、思い出している。
なかなか、こんな人はいない!と思う。
お邪魔した時に、旦那さん(作家)が
バイオリンを弾いて、
昔の隠語の歌(何んと言ったか?!)を
歌ってくれた。
とてもおもしろく、優雅であった。
わいせつな行動、言葉を他の言葉で表し、
美しい意味を持たせ、バイオリンと共に
かなでるのである。
私は教養がないので、
理解に苦しんだ事を覚えている。
彼は、正統な絵を描いていたが、
途中で書画に変えたようである。
生きる事は容易ではなかったと思う。
我家も、ものづくりなのでよく分かるのである。
しかし、生活は幸せで楽しいもので満ちあふれていた。
さて、彼の名は
要 樹平(かなめじゅへい) という。
上賀茂神社の近くの焼餅屋 神馬堂の
看板、のれん、包装紙を手がけている。
(2枚の写真は拝借しました。)
何ともいい表現であり、大好きである。
包装紙のグレーと赤と白のコントラストが
何んともモダンである!
そんな「蝉噪ぐ」を、たなかやの玄関に飾っている。
2019年7月22日月曜日
オカッパババのタワゴト18
共に在る
このカップはちょっと想いがある。
娘が生まれる前に求めたものであり
コーヒー、紅茶は薄手の磁器で
口に香りや味が伝わってくるものが好きである。
でも、私には珍しく絵柄と雰囲気の
柔らかさが気に入り求めたカップである。
1748年創業、ビレロイ&ボッホ制である。
ドイツ技術とフランスの感性が融合し
歴史があり、色々な苦境を乗り越えて
270年、今に続いている。

私のカップは左から2番目のマークである。
しかし、今のはどうも欲しいと思わない作風である。
これも人の好みであり、色々である。
特に最近思うのであるが、
大らかなものが少ないように思う。
いつも疑問に思うのである。
だから最近のものはあまり求めようと思わないのである。
さて、このカップには思い出があり、
共に生きている感がある。
先日、仙台の友人の死について書いたのであるが
その彼女が京都に住んでいる時に、
家に遊びに来た時に、このカップを見て
「 これ大好きなんだ! 」と言って
ニコニコしながら見ていた。
私は思わず「 欲しい? 」
「 うん、欲しい 」と言う会話の後に
「 あげるよ。どれがいいの?」
彼女はピンクの柄の大きなカップを選んだのである。
今はなき彼女の家で、娘さんと共にいるのであろう。
思い出は、いいものである!
忘れない限り心の中に残っている。
そして、いいと思った時に求めるという事が
大切であるとおもう。
だって心の中に残るのだから。
これから、我家にある、いいと思って二人で
求めたいろいろなものをブログにて、
あげて行きたいと思う。
思い出が沢山である。
そして、共にあるという喜びなのである。
2019年6月3日月曜日
オカッパババのタワゴト17
「 ちょっと、何か? 」
あのさ、
変な人形だって言われるんだけど、
人間の方がよっぽど変よ!
作り手はもっと変かもよ!
オカッパババはひとり言を言う!
以前、ブログにアップした人形の前に
作っていた人形です。
作っていると、おもしろくて、
ふき出してしまったり
いいじゃない! とか、
人形との対話が生まれている。
色々な布、革、他の素材が沢山あり、
町に出たら楽しくて、
あちこちを見て歩く。
だから私の部屋は材料でいっぱいである。
この年であるが断捨離は考えた事がない!
処分されるべきもの達であったが、
生き返るもの達でもある。
そんな布や革たちで生まれた人形達である。
かなりいとしい存在である。
その人の持っているものが
形になるような気がする。
断捨離も、その人それぞれの考えであると思っている。
ちなみに、
ボディはシルク、
洋服もシルク オーガンジー
中のスカートはリバティの布で仕上げています。
2019年5月29日水曜日
オカッパババのタワゴト16
ちょっとだけ想ってみて下さい
又、タワゴトを言っていると思って
聞いて下さい。
お店を再開して、3日間が終わりました。
皆さんいらして頂いてありがとうございます。
1年半のブランクはどこへやら!
いつものように話し、食べて、呑んで頂きました。
そして、一人一人の思いもしっかり頂きました。
色々想いを感じながら、たなかやとは何ぞや?
「 たかがお店、されどお店 」の気持ちがあります。
お料理も試行錯誤の毎日です。
同じ料理でも、慣れてしまったら!・・・
ところで、周りには小さいお子さんが沢山います。
その中で数人の方から
「 懐かしいたなかやに子供を連れて行きたい 」
と、言って下さるのですが、
しかし、「 ちょっと待って下さい! 」
私は子供達の味方です。
子供達も懐かしい場所ですか?
子供達にとっては、たなかやはいい場所ですか?
静かにしなさい! 走り回らない!
さわっては駄目! あぶない! を言い続けるのです。
子供達はフル回転が大好きなのです。
かわいそうです。
そして、親もお客様も落ち着かないお店は
もう、お店ではないのです。
夫婦で、一人の自由と楽しみを尊重するなら
どちらかが、子供とお留守番して
「 いってらっしゃい! 楽しんできて! 」
と、送ってあげて下さい。
子供も家で自由に遊べるんですから!
子供を育てるって、お料理と似ている気がします。
過去、現在、未来 とつながっています。
想いは食べて、消化するんです。
おいしい! と感謝になります。
また、たなかやでお待ちしています!
2019年4月24日水曜日
オカッパババのタワゴト 15
つながっている
「つながっている」という事を
再確認した石巻、仙台の旅であった。
皆、心から私達(私と娘)を迎えてくれた。
優しさを静かな波動で私に送ってくれている。
勿論、今、京都に帰ってからも波動は続いている。
どんな孤独であっても
「一人ではない」という事。
何かしら自分の想いを持って生きていれば、
人は「一人ではない」という事である。
私は石巻、仙台に行って思った事は、
もうここには自分の居場所はないと感じてしまった。
ここはどこ? あそこの道? あったはずなのに!
捜している自分がいた。
しかし、実感出来なかったのだ。
住んでいた所の小さなものでもいいから
実感したかった自分がいた。
しかし、それはかなわなかったのだ。
そしてもう戻れない所になっていた。
それは悲しい事ではなく、
「何かを想った」という事である。
そして、今住んでいる京都が故郷である。
今、生きている現実、何かに向かって生きている
という実感が故郷のような気がしてならない。
故郷とは昔住んでいたという感覚であるが、
私は故郷とは、帰る所、今、生きている所だと
実感したのである。
過去は時には残酷である。
しかし、今を楽しく生きていれば、
過去はもう過ぎたものであると思った。
そして、人は沢山の事を持てないし、
持ってられないからである。
今から楽しい過去を作るべきだと思った。
もう1分後は過去である!
震災後、何か震災の為に出来ないか私なりに、
したいと思って1つ100円のナイロンタワシを
作って募金箱をたなかやに置いた。
そして今回、持って行こうと用意していたが
忘れてしまったのである。
京都へ帰って募金箱を開けた。
私が作っていたタワシよりはるかに多いお金が
入っていた。
ジーンと来てしまった。
皆さんありがとうございます。
大金ではないけれど、価値のあるお金です。
なぜ忘れて、今、開いたのだろうか。
何となく「つながり」を感じたのだ。
それを捜す旅だったような気がする。
しっかりこの大切なお金を形にしなければ!
2019年4月11日木曜日
オカッパババのタワゴト14
会いに行こう!
最近、色々な事が私の回りに起きていて、
ふと、自分の年令の事を思ってしまった。
そうだ、私の年令でも、
回りはもっともっと年を重ねている人達がいる!
先日、佐渡の母が他界して、
色々な思い出が私を動かしている。
優しく、気丈でお料理が頗るおいしく
ユーモアのある人でした。
思い出すと、これからふれられない現実と
教えてもらっておけば!という後悔が
私を淋しさに追い込むのである。
その思いが、今、行動しなければ、
会って話しをしなければ、後悔だけが残り
置いていかれてしまうという想いに、至ったのである。
楽しいお話をしに、会いに行かなくちゃ!
そんなことを想っていたら、今日(3月30日)の
朝日新聞に、中田英寿さんの「来ました、ふくしま。」
という記事に諸橋近代美術館のことがのっていました。
もう館長さんは息子さんの代になっていて
お会いした事はないのであるが、
私が20代の頃に諸橋さんに会っている。
色々な思い出がある。
記事を見て懐かしく思い出していた。
そして後悔のないように訪れようと思ったのである。
この美術館はダリを中心に410点の美術品を所蔵している。
私の説明より、朝日新聞の記事を読んで、
是非、足を運んで欲しい美術館である。
気が付いたら私の回りもみんな年を取ってしまっている。
もう1つ残念でならない事が分かった。
仙台の友に久しぶりに電話したら、
昨年5月頃に友人二人で京都へ来たその1人が
突然亡くなったのである。
私よりも若い友人である。
残念でしょうがなく最後の別れに来てくれたのだと
思ってしまった。どうして!
とっても才能あふれる彼女だった!
でも、いつか、私も!
そして、思ったことは、
石巻生まれの私は震災後行っていない。
いつも心の中には気になっていた事である。
いとこも亡くなっている。
私が住んでいた所は今、何も残っていないという事である。
私もそこに住んでいたら・・・。
私を何かが動かしている。
行かなくちゃ!会いに行かなければ!
4月半ばに石巻、仙台と行く事にした。
みんなに会いに行きます!
2019年3月7日木曜日
オカッパババのタワゴト 13
オカッパババからのお知らせです!
みみとくち
2019年3月21日(祝・木曜)からはじまります!
コーヒーを飲みながらお話をしてください。
オカッパババが話を聞きます。
1時間、無農薬コーヒー付き2000円
場所 : たなかや
予約 : 080 6160 7268
※ 電話にて予約をお願い致します。
※紹介者がないと予約ができません。
予約受付 : 木・金・土・日
10時 ~ 17時
※時間外は応対できません。
みみとくちは、
午前10時~12時
午後1時~5時
木・金・土・日 の営業です。
明日から予約承ります。
ラベル:
オカッパババのタワゴト,
お知らせ,
たなかや
2019年3月3日日曜日
オカッパババのタワゴト 12
また、やらかします!
長い間、ショップを休んでいましたが、
私、オカッパババは、仕事をする事にしました。
バッグや変な人形、デザイン・・・
色々とものづくりをして来ましたが、
ちょっと新しいことをしてみようと、
やらかします!
それは「 みみとくち 」という仕事です。
たなかやで「 無農薬コーヒー1杯付きでお話を聞く」
というシンプルな営業です。
1時間 2000円です。
色々と喋って下さい。
私はただただ聞くというお仕事です。
いかがですか?
他言はしませんので御安心を!
ちょっと楽しみです。
■ 3月21日より営業
■ 1時間2000円で1杯の無農薬コーヒー付き
■ かならず 電話にて予約を入れて下さい。
■ 木・金・土・日 営業
■ 10時 ~ 12時 13時 ~ 17時
詳細はオカッパババのタワゴト13にてご確認下さい。
2019年2月14日木曜日
オカッパババのタワゴト 11
和 と 輪
みんなで手をつないで輪を作る。
手をつなぐだけではなく、
しっかりと想いを抱いて輪を作る。
輪が出来上り、そして和が生れる。
色々な国の文化や人に接し、
色々な事を学べば、
驚きと感動が生まれる。
そこには敬意が生れる。
素晴らしい文化や人に感動する。
そして自国の文化を知り、
同じ感動が生れる。
そうすると色々な国の文化や人達を
大切にと、敬意が育つ。
そこに輪ができて
和が生まれる。
2019年、楽しい事が大好きな私は
又、何かやらかしたいなあー!
と思っています。
だって、一生は一度だぜ!
又、人に迷惑かけて、しでかしたい!
コンコンコン。
失礼します・・・
ということで、
オカッパババの巻なのですが
わたしも少しお邪魔を。
この「和と輪」の写真は
2017年に出来上がったお棗です。
オカッパババは、
この気持ちを込めて
お棗の、
和 と 輪をデザインしました。
昔から、
繋がっている・・・
和と輪のことを話しておりました。
年明けにオカッパババに投稿を
頼まれていたのですが・・・
あちゃーであります。
さて、
そーっと、この巻を、
後にするとします。
2018年12月26日水曜日
オカッパババのタワゴト 10
心 踊る事、
心 高鳴る事、
心 やさしくなる事、
味わってみたいと思いませんか?
一生一度の人の生!
同じ時間を共存する私達!
作り手は、お金の為にだけではなく
心踊り、心高鳴り、心やさしくなる。
そんな自然の中で、もの作りをしているのです。
それが出来た時、持った人に通うのです。
心踊り、心高鳴り、心やさしく、
それは、
自然から頂いた命から共に作り上げて行くからです。
作り手は、この命から色々な事を感じ、
学んで知るのです。
そして無言の会話から生まれて来ます。
自然の命を頂いて、形になった漆器の形。
自然の命が形になったものを味わってみたいと
思いませんか?
人それぞれに感じるものがあると信じています。
いとおしさが募ります。
2018年12月12日水曜日
オカッパババのタワゴト 9
I'm sure !
I'm sure. という言葉って?
歯を磨きながら
ふと思ってしまった。
もうすぐ、72才になる自分は、
ここまで生きてきて、I'm sure .
とはっきり言える事に戸惑う。
というか私にはないかも!
という事はいくら長い年月を生きても
これという確信は持てないという事だと思った。
とてもいい加減な自分がいるという事。
そして自分の生き方の問題であると。
どうでもいい事かもしれないが、
〇 ✕ 式のアンケートが
とても苦手である。
いい加減な自分なら書けるはずなのに、
いつも、1,2,3のそれに、
他にもあるでしょう!
そしてアンケートの中に
1,2,3、その他とある。
その他って?
1,2,3だけが必要なのである。
統計にはその他は必要なく
とれにくいものなのだろう。
これで統計とって何かに反映するとしたら・・・
紙にもの申す! 私である。
別に I'm sure. がなくても
いいと言えばいいのであるが。
これは自分との対話である。
時々、72年間生きて来てこれか!と
思う時があるからだ。
何かに向き合って作っている自分が
そう思わせるのかもしれない。
よく、年配の人が若い人と話している。
そこで会話が飛ぶ。
そんな時「若いからよ」「若いわね」と
話を遮ってしまう。
そんな楽しい話はそこで終わってしまう。
若いと年を取っているという
お話の境は?
そんな事より、その時、
その会話、出会いに
乾杯だね!
I'm sure. じゃなくてもいい。
早く亡くなってしまった両親や
友達の事を思うと
今まで無事に生きている事は
幸せな事だよ。
それは言えるかも。
I'm sure !
2018年11月26日月曜日
オカッパババのタワゴト 8
「 1001g 」
ノルウェーの監督、
ベント ハーメル 「 1001g 」
( 監督、脚本、プロデュース )
という映画をまたまた観た。
2014年の映画である。
総てがセンスがいいのである。
特に人間を描くのが最高である。
そして、ユーモアが伴っている。
映画の内容を話すのは
やっぱり止めておくことにした。
観て、感じて欲しいからである。
映画の中には素敵な言葉が溢れている。
何か旋律のように響く。
主人公のマリエは、
ノルウェー計量研究所で働いている。
パリ国際セミナーに出席した時、
研究者数人が話している内容が、
なるほど・・・
「 昔から言うように腕時計は1つで時間は分かるが
腕時計2つだと正確かどうか不安だ 」
という話である。
計量のヒントなのだろうか。
マリエはパリで知り合いになった男性に
父親を亡くした悲しみを話している。
「 父親を亡くした時
人生のすべての基準点が 崩れていくみたい 」
と、そして、父が亡くなる前に
「 自分の人生を量りにかけろ 」
と言われていた、と。
彼は言う、
「 それは真実だね。 人生にはカオスが必要だ 」
「 僕らが求める基準は安心な答えにすぎない 」
彼女は、「 安心な答え? 」と聞く。
彼は言う、
「 1000g、7ケタ、27ケタ、10の8乗、
人生の重さは?
そして愛は?
どのくらい重い?
僕らが捜しているのは自分自身なんだ。
でもね、フランスの詩人アラゴンは
生き方を学ぶ頃には手遅れなんだと言っている。 」
そして、
「 人生で一番の重荷は
背負うものがない事 」
と、映画の中で語っている。
心のハカリは・・・。
先日、朝日新聞の天声人語で読んだ文章がある。
「 1001g 」の題は
とても深い所に想いがある。
ベント ハーメルの心の深さは、
かなりであると思った。
天声人語の最後の文章は
この映画の最後のシーンと重なる。
この映画の中で父親が娘にこう言っている。
「 次世代は計量ではなく
原子数の計算になるぞ 」・・・と。
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