2019年4月24日水曜日

オカッパババのタワゴト 15










    
    つながっている



「つながっている」という事を
再確認した石巻、仙台の旅であった。

皆、心から私達(私と娘)を迎えてくれた。
優しさを静かな波動で私に送ってくれている。
勿論、今、京都に帰ってからも波動は続いている。

どんな孤独であっても
「一人ではない」という事。
何かしら自分の想いを持って生きていれば、
人は「一人ではない」という事である。

私は石巻、仙台に行って思った事は、
もうここには自分の居場所はないと感じてしまった。
ここはどこ? あそこの道? あったはずなのに!
捜している自分がいた。

しかし、実感出来なかったのだ。
住んでいた所の小さなものでもいいから
実感したかった自分がいた。
しかし、それはかなわなかったのだ。
そしてもう戻れない所になっていた。

それは悲しい事ではなく、
「何かを想った」という事である。

そして、今住んでいる京都が故郷である。

今、生きている現実、何かに向かって生きている
という実感が故郷のような気がしてならない。

故郷とは昔住んでいたという感覚であるが、
私は故郷とは、帰る所、今、生きている所だと
実感したのである。

過去は時には残酷である。
しかし、今を楽しく生きていれば、
過去はもう過ぎたものであると思った。

そして、人は沢山の事を持てないし、
持ってられないからである。

今から楽しい過去を作るべきだと思った。
もう1分後は過去である!

震災後、何か震災の為に出来ないか私なりに、
したいと思って1つ100円のナイロンタワシを
作って募金箱をたなかやに置いた。

そして今回、持って行こうと用意していたが
忘れてしまったのである。
京都へ帰って募金箱を開けた。
私が作っていたタワシよりはるかに多いお金が
入っていた。
ジーンと来てしまった。
皆さんありがとうございます。

大金ではないけれど、価値のあるお金です。
なぜ忘れて、今、開いたのだろうか。

となく「つながり」を感じたのだ。

それを捜す旅だったような気がする。
しっかりこの大切なお金を形にしなければ!


2019年4月23日火曜日

ずずちゃん、ばばちゃん










ずずちゃん?
ばばちゃん?

と、聞いたときに、
分かるもなく、
ピーンともなく。

ずずちゃん、ばばちゃんは
おじいちゃん、おばあちゃん。

そんな、ハハの育った地である
石巻に初めてと言えなくもない
そんな時間を過ごしてきました。


コトバにするのは、
なかなか、
なんとも言えない時間がグルグルと。

「はじめまして」
なんて言いながらの出会いも・・・

ハハから聞いていた
日和山からの景色、
住んでいた、という
その時間が、ハハの
そして誰かの思い出もが
跡形もありませんでした。

震災から8年が過ぎた今も。

日和山から見えた景色、
手を合わせることしかできなかった。

石巻と仙台での時間、
佐渡での時間、
いろんなことを纏いながら
人は今を生きている。

「自分」でありながら
知らない時間が
気にもしなかった
アレコレがなんだか今になって
「自分」に届いた気がしています。



佐渡のおばあちゃん ー光ー







一日中、
その次の日も
次も・・・

一日と言える時間の中で
出会える瞬間というのだろうか?
海を空をじっと見続けることは
できなくて、
だからなのか?

ふとしたちょっとの時間に
見た、出会えたものが
ジーンとわたしに伝わってくる。


佐渡の夜空がきれいで・・・

見上げた夜空の星を見た途端
「なんだか泣きそう」
と、おじちゃんたちがいる前で言っていた。

「泣きたいときは泣け!」
「泣いたらいいんさぁ!」

と大きな声で聞こえた。
懐かしいおじちゃんの佐渡弁が
なんか、ほっとした。

見たものと、
泪の蛇口みたいなものは
瞬時に反応しているのか?
なぜ、泣きそうなんて言ったのか?
泣きそうなんて言いながら、
もう零していた。

よくわからなかった。


見たもの、聞いたもの、感じたもの
喜怒哀楽にも泪は零れる・・・
















2019年4月15日月曜日

佐渡のおばあちゃん ー時間ー








そうか。

わたし、
おばあちゃんとの時間
つなぎ合わせると、
どれくらい?

それくらい、
会えてなかった。

話せてなかったぶん、
今になって
「今日はポカポカだね」などと、
コトバにしている。

あの時とか、
後悔とか、
いろいろあるけれど、
どうしようもない、今。


佐渡では、
おばあちゃんにできなかったことを・・・
と思いながら、
手伝いになってない
手伝いをほんのちょっとしてきた。


おいしいお米を小さい時から食べていた。
父から田んぼや畑のことをよく聞かされていた。
大変な仕事。
おかげさまで食べていたお米やお野菜。

今になって、そんなことを思った。
ずしっと、自分の中にある
そんなありがたさ。

もっといろんなことを
おばあちゃんから教わりたかった。

でも、
わたしの中にはおばあちゃんの
いろんな忘れないモノがたくさんある。

忘れないのと、
何かできることをしていく、
それが、今できること。

後悔はイヤだけれど、
次への「何か」かもしれない・・・


そんなことや、
おばあちゃんとのアレコレを
思い出しながら、
いろいろなことを
海と空を見ながら
つなぎ合わせていた。

山からも、
田んぼからも、
畑からも、
海が見える・・・









2019年4月11日木曜日

オカッパババのタワゴト14











    会いに行こう!



最近、色々な事が私の回りに起きていて、
ふと、自分の年令の事を思ってしまった。
そうだ、私の年令でも、
回りはもっともっと年を重ねている人達がいる!

先日、佐渡の母が他界して、
色々な思い出が私を動かしている。

優しく、気丈でお料理が頗るおいしく
ユーモアのある人でした。
思い出すと、これからふれられない現実と
教えてもらっておけば!という後悔が
私を淋しさに追い込むのである。

その思いが、今、行動しなければ、

会って話しをしなければ、後悔だけが残り
置いていかれてしまうという想いに、至ったのである。
楽しいお話をしに、会いに行かなくちゃ!

そんなことを想っていたら、今日(3月30日)の
朝日新聞に、中田英寿さんの「来ました、ふくしま。」
という記事に諸橋近代美術館のことがのっていました。
もう館長さんは息子さんの代になっていて
お会いした事はないのであるが、
私が20代の頃に諸橋さんに会っている。
色々な思い出がある。
記事を見て懐かしく思い出していた。
そして後悔のないように訪れようと思ったのである。

この美術館はダリを中心に410点の美術品を所蔵している。
私の説明より、朝日新聞の記事を読んで、
是非、足を運んで欲しい美術館である。


気が付いたら私の回りもみんな年を取ってしまっている。
もう1つ残念でならない事が分かった。
仙台の友に久しぶりに電話したら、
昨年5月頃に友人二人で京都へ来たその1人が
突然亡くなったのである。
私よりも若い友人である。
残念でしょうがなく最後の別れに来てくれたのだと
思ってしまった。どうして!
とっても才能あふれる彼女だった!
でも、いつか、私も!

そして、思ったことは、
石巻生まれの私は震災後行っていない。
いつも心の中には気になっていた事である。
いとこも亡くなっている。
私が住んでいた所は今、何も残っていないという事である。
私もそこに住んでいたら・・・。


私を何かが動かしている。
行かなくちゃ!会いに行かなければ!
4月半ばに石巻、仙台と行く事にした。
みんなに会いに行きます!

2019年4月10日水曜日

佐渡のおばあちゃん ー 海 ー






こんな静かな海は知らない。

びっくりしたのです。
なんだか、歩けてしまいそうな
そんな青く続いているあっちに踏み出せそうで。

空も青く、
海も青く、
いろんな青が目の前に広がっていた。

やさしい海でした。

佐渡でのほんのちょっとの
おばあちゃんのうちで聞こえる
海からの音はどこか、
荒く、なんとも言えない青として記憶していた。

そんな記憶と重なる音や
目にする波はなく、
ほんとにやさしかったのです。

光を通すような
光を浮かべるような
光をキラキラと弾かせるような
そんな青の海でした。

朝、昼、夜と刻々と変わる空と海。
キラキラとこちらに伸びてくるかのような光が
特別な「道」みたいで
ずっと眺めていました。

歩ける術は、
残念ながら見つからず・・・



2019年4月9日火曜日

うるしばなし 15










春になると
だんだん鴨川の季節の順番が
見え始める。

眠っていた順番が起こされるみたいに。

さて、私の準備を始めるとしよう。

春はこの気分で、
お盆に片口と盃で
一献を愉しむのです。

春待ちて
風舞う色に
酔いしれる

(うるしばなし P76.77)

2019年4月8日月曜日

佐渡のおばあちゃん






そっちは、
どんなところですか?

桜は見れましたか?


投げかけている。
遠くなのか、近いのか
わからないそんなところへ。

十数年ぶりに佐渡へ。
同じく十数年ぶりに出会った
おばあちゃんのうち。
そして、
目の前の海。
後ろには山。

大きな空。
へんな表現なのですが。

まん丸の中に
海も山も空も、
立っているこの地も
すっぽり入っている・・・
そんな感じ。
へんな表現なのですが。


十数年ぶりに立った同じ場所は
違ったモノを見せてくれた、
そんな時間でした。

おばあちゃんのうち、
なのに、おばあちゃんはいない。


自分には、
前がある。
いつかの知らない、
ずっとずっと前。

繋がっているから、今、自分がいる・・・
存在している。

そんなことを、
ふと思った。


佐渡がわたしの中の
一つでもある。
ちょっと数日感じたことを
自分に問いかける?かのように
コトバにしたいと思うのです。







2019年4月7日日曜日

風に。










なんとも、
ながいこと、
そのままでした・・・


いつの間にか、
春になっていた!
そんなカンカクです。

わたしは冬眠していたのか?
という、問いかけをしてしまったくらいです。


先ほど久しぶりに歩きました。
歩きながら出会う桜に、
「春だよ~」
と言われたような
そんな再会でした。

巡ってくるんですよね。
ほんとに。
誰が用意してくれているのか?
ちゃんと毎年出会っている。

今日の風もどこかで知ってるような、
そんなやさしさを乗っけてるような
懐かしい、
この季節に感じた風でした。

風に舞う花びらとも、
もう少ししたら出会う・・・



写真はいつかの夜桜です。