2020年1月6日月曜日

5年前のタワゴト。




5年前の1月5日がふたたび。

今日も自分が仕事をしていて、
あるものに
重ね、
ズレて、
いろんな見えることを
違いを、
しっかりと感じます。

仕事、
そして
カタチになるものを。

まだまだという、
なにかにかける
呪文と魔法のようなものを
自分にとなえながら。


2015年1月5日のオカッパババの
タワゴトと昨日再会し、
重なったものがありました









みんな年とってきている面々を見て、たわごとを言わせて下さい!
人の技を重ねて行くと、その技はいつまでも続いて行く。
しかしその技を伝える人間がいなくなればそこで止まってしまうのである。
伝えるという事は、作る人間がいれば伝えられるかというものではなく、
一人一人の人間がどのように生きて関わって行くかということが大きな問題なのである。
私は技を磨いている人間ではないが、
磨かれたものに対して尊敬と憧れを持っている人間である。
技を磨く人は選ばれしものだと思っている。
しかし訓練と時間をかけて続けていけば選ばれしものになるというものでもない。
そのような人は沢山いるのである。
しかし、その中から選ばれし人が技を磨けるのである。
それはどのような事なのかはむずかしい。
その人が磨くという事は、その人、その人間が歩いたり止まったり、
求めるか求めないか、生業から生まれてくるものだと思っている。
それが、例えばお椀一つをとって話をしようとすると、
同じ木地に10人の人にお椀を作ってもらっても
みんな違うお椀に仕上がるのである。
それが、その人なのである。
お椀がその人そのものなのである。
では、優れている ( いいもの )を見分けられるかというと
それは生まれ持ってる人もいるかもしれないが、
しかしどんな人にせよ、
触れて、見て、使って、そして学ばなければ到達しえないもののように思う。
学ぶという事は恋する事と似ているような気がする。
知りたいのである。
それは自然に学んで行くものなのである。
そして使った時に肌に触れた時にそのいいものを実感できるのである。
それは理屈ではなく自然で心地よいものなのである。
そこに到達できる快感というものもその人しか味わえないもののような気がする。
心地よさはその人によって感じ方は異なると思う。
是非、味わってみて欲しい。
最近、多くの仕事人と技を重ねる者にどうか続けて行けますようにと世に願いを籠める。
白い息を吐くだけではなく、
はっきりと口を開き伝えて行かなければと辛辣なババはたわごとをはくのである。






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